フットサル初心者の上達ノート

35歳過ぎて本格的にフットサルを始めた初心者が思ったこと

フットサルにおける自分とボールと敵味方の関係性について

初心者のフットサルで、自分がボールを持っている時によくある困った状況がある。それは、味方はほぼマークに付かれているが誰も動かず、ボールを持ってる自分にも前に1人敵がいるという状況だ。

正直「詰んでいる」と感じる。

何故ならば、パスを出そうにもパスカットされるか、味方には敵が近いので出しにくい。でも自分の目の前の敵をドリブルで抜くまでの実力もない。

でもこれをどうにかしなければいけないのがフットサルである。一応以下のようなことをやろうと試みる。

・ドリブルで敵を1人抜こうとする
・ドリブルで味方のマークに付いてる敵を釣り出す
・パスを敢えて出して、味方のキープ力にかけるか
・パスを敢えて出して、自分がフリーなスペースで再度もらう
・動かないで味方の動き出しを待つ

こういう次のプレーイメージを次から次に出さなければいけない。一番成功の可能性が高いプレーを考えるが状況が次々と変わるので、その都度次のプレーイメージを考え続けなくてはいけない。

でも、そもそも初心者には無理だ。人は一つのことに集中している時、その他のことまで気が回らない。まず自分のボール扱いが下手な時にはそれ以外のことは考えられない。次の判断に進めない。

フットサルには以下のような関係性の難易度がある。

1.自分とボールの関係
2.自分と一番近くの敵との関係(1対1)
3.自分と一番近くの敵と味方の関係(2対1)
4.2対2~4対4
5.敵全体の位置関係
6.味方と敵の全体的な位置関係

だから、実際は「1.自分とボールの関係」が出来たら「2.自分と一番近くの敵との関係」が考えられるようになる。初心者はまず1がまともにできず、まともでないまま2か3の状況に進んでしまいミスする。

脱初心者になるには「1.自分とボールの関係」を考えなくても出来るくらい自動化するのと同時に、2以降の関係性のを反映させた練習も必要だ。

自分の下手さ加減にあきれる

昨日は上手くならなくてもいい、みたいな記事を書いたのですが、やっぱり上手くなりたいー、というか俺下手すぎるわ。と自分に腹が立ったのでちゃんと上手くなろうと思います。

というのも、一昨日練習試合をやって自分のプレーの動画を見たのですが、これが見れたものではない。ド下手。自分のイメージとは程遠く、そんなに高望みはしていないのに全然出来ていませんでした。

そもそも上手い人と何かが違う。プレーの姿勢とかたたずまいとか。ただ立っているだけで既に何かが違う。基本レベルの差がそう感じさせているのか。それとも手の使い方、身体の使い方という細部の違いだろうか。

ともかく自分のプレーが格好悪くて仕方がない。もっとフットサルプレイヤーっぽく、サッカープレイヤーっぽく出来ていると思っていた。また、少し上手くなってきてると思ってたのでショックでした。

あと、あまりにも周りが見えていない。敵の状況も最近では少し見れていると思ってたのに全然見れてないです。もっと周りが見れないといけない。敵が真ん中に集まってるのか、サイドに集まってるのか、前から来てるのか、後ろで待ってるのか、それくらい理解してないといけない。

あと、ボール持った時いつもそうなるのだが、焦って前に進んでしまった結果ボールを取られることが多い。上手い人のプレーを見るとドリブルでそんなに速く前に行ってない。むしろ最初は歩くくらいの速さで、その後タイミングを外すときにスピードアップする。

なので、今日のフットサル目標
・敵の状況をちゃんと口に出して言えるくらい理解してること(むしろ口に出していこう)
・ドリブルは歩くスピードで

やった結果、
敵のプレスが速く、敵の状況を見てる余裕はなかった。でも、自分が出てない時やゴレイロの時は見ることが出来たので、後はこれをプレー中ボールを持ってないとき→ボールを持っているときに見られるようにしていくこと。

ドリブルはあんまり速く行き過ぎないことは出来たが、その後の判断力が無いため、取られる場面もあったが、まあよいだろう。今日のコートは広いから特にカウンターばっかりになってしまう。そんな時でも練習なので、焦らずキープするような進まないドリブルの練習をしよう。

そもそもフットサルってもっと自由だよね

色々とブログでフットサルが上手くなる方法を考えたり書いたりしてるわけだが、そもそもフットサルとかサッカーっていうのは、手さえ使わなければそれ以外は基本的に何でもやっていい自由なスポーツである。

極端なことをいうと、味方のゴールに向かってもいいし何もしないでもいい。そう言ってしまうと元も子もない気はするが。

フットサルにはゴールを目指すという目的がある。それを達成するには戦術を使ったり協力した方が効率的だ。そんなことは当たり前なのだが、なんかそればっかりってどうだろう、とふと思う時がある。

みんなで協力してゴールを奪うという目的を達成するには、個人の自由は制限されるかもしれない。嫌いな人と協力しなければならないかもしれない。

なのでフットサルが上手くなるにはと色々と言っているが、それをやるもやらないも自由だし、自分の自由な意思による。だからどんな選択をしたとしてもが正解だと思う。

と、いうことを頭のどこかに持っておかないと、出来てない人に何で出来ないんだとか、ちゃんとやれよとか、そういう厳しい言葉を頭ごなしでなんの考えもなく言いかねないよね、ってことだ。そういうことが、フットサルでも普通の日常生活でも起きてしまわないか、ということ。

勿論、社会に馴染むという目的や、フットサルだとある程度ゴールを奪うという目的はあるので、そういう目的は持ってよい。というより持つ必要がある。

でも、それが100%ではないということは頭のどこかに持っておかないと、100%そうだとしたら他の事や他の人を単純に拒絶することに繋がると思う。

フットサルでいうと、上手くなったり勝ったりすることは目的もあって楽しいが、そればっかりが正解でもなく、ふざけたり遊んだり負けたりすることも正解だったりするかもよ、もっと根源的なとこまでいくと何もしないとか、味方のゴールに向かうとかの行為も別にフットサルではルール違反ではないからやっていいんだよ、ということを頭の隅に持っておけば、少しは「それもこれもありなんだな」という気持ちになって、他人を受け入れたり許せたりする事が増えるのではないか。という最近の孤立化・効率化の社会に対する危険性を感じることもあって、今日のこのようなブログの運びとなったわけです。

といって、明日からまた上手くなるにはといったことや、勝つためにはということを考えたり書いたりするのです。それもまた自由。
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