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最近、自分が人の話を全然聞いてなかったり、人のことを全然理解してないんだなだなと思います。

それは実家に帰って親と話をした時に、この人達が一体何を考えてるのか、何が好きなのかを全然知らないなと思ったことがキッカケです。

フットサルでもよもや同じようなことがあって、相手のことを全然見れてなかったり、相手の考え方が分かってなかったりします。

私は基本的に人見知りな性格なので、人から観察されていたりすることが苦手です。

なので自分がされて嫌なことはしたくないので、あえて相手のことを見たり観察したりしなかったという側面はあります。

でも相手のことを理解しようとするのは悪いことではないような気もします。

この辺は言葉のニュアンスの違いかもしれないです。

この理解するという行為が自分の中に足りてない気がしました。

相手が何を思ってプレーしているのか分からなかったりします。

例えばあそこでなぜあのパスをしたのか、私にどちらに動いて欲しかったのか、などのプレー面もあれば、プレー面以外もあります。

プレー面以外で、全く違うことを考えてたんだなーと思ったことがあったので、その話をします。

この前フットサルをやった時に一人全くの初心者の女性がいて、あとはまあ少し蹴れるくらいの男性でした。

しかしながら、他の男性はレベルを全く落とさないままプレーをしていました。

なぜかを聞くと、他の男性は自分の練習にならないから、ということです。

私は、こういう女性がいるとレベルを落とした方がいいような気がしますが、自分の練習にならないからと言っている男性も正しいのだと思います。

言葉は悪くなりますが、よく個サルなどにいるタイプの、思いっきりやる空気の読めない初心者や、あえてひけらかす上級者も、それぞれに何かしらの正当性があってやっているのだし、このような人達もいて良いのだと思います。

しかしながら、その人達がどのような考えをもってそのようにやっているのかは理解したいとも思います。

理解した上で、ただ自分がやるかやらないかを選択するだけです。

それを人に強制しなければ良いと思います。

●●するなとか●●しろとかを人に強いるからおかしなことになります。

大事なのは自分が何を思い、何を言い、何をするかということで、それを人に強制しないことです。

これは非常に難しいことですけどね。。

ちょっと普段とは違う感じの文章でしたが、本日はこの辺で締めたいと思います。